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最終回:ヴェーダ科学の人間観
23:五感を楽しませる4
22:五感を楽しませる3
21:五感を楽しませる2
20:五感を楽しませる1
19:ギーについて
18:正しい食事の仕方 その3
17:正しい食事の仕方 その2
16:正しい食事の仕方 その1
15:食事とこころ
14:アーユルヴェーダの身土不二
13:食合わせについて
12:アグニを改善する
11:アグニ−健康と病気を分けるもの
10:6つの味
09:アーユルヴェーダの医食同源
08:マクロコスモスとミクロコスモス
07:自分の体質を知る−体質判定問診表
06:カパタイプの特徴
05:ピッタタイプの特徴
04:ヴァータタイプの特徴
03:三つのドーシャと七つの体質
02:五大元素とは
01:はじめに


緒方裕 HIROSHI OGATA
ホリスティックヘルスオーガナイザー
NPO法人日本ホリスティック医学協会会員



千葉県出身。
20年近いサラリーマン生活の後、母親の死や一冊の本との出合いをへて、セラピストの道を志す。たんに具合の悪い箇所を改善することにとどまらない人間のまるごと全体を包含したアプローチを求め、クラニオセイクラルというボディーワーク(手技療法)との運命的な出会いを果たす。
その後、10年間に渡る実践によりその世界を深く探求するとともに、アーユルヴェーダ、アロマセラピー、フラワーエッセンス、東洋医学、カウンセリングなども学ぶ。現在それらを統合した、ホリスティックヘルスオーガナイザーとして活躍中。からだとこころとスピリットが調和し、その人本来の“ヘルス(健全さ)”を発揮して生きるためのサポートをしている。



お問い合わせはこちらまで
cerebrospinalf54@yahoo.co.jp
「完全予約制」

住所:
渋谷区富ヶ谷1−20−14
テラス富ヶ谷201号室
最寄り駅:
小田急線・代々木八幡駅または
千代田線代々木公園駅下車 徒歩8〜9分

※施術はすべて1対1のパーソナル対応となります。 お急ぎの場合は携帯までご連絡ください
携帯:090-4006-1943



緒方裕さんの
特集|メソッドをききました




最終回 ヴェーダ科学の人間観
「我々はどこから来たのか
 我々は何者か
 我々はどこに行くのか」


フランスの画家ポール・ゴーギャンの最高傑作のタイトルです。
ゴーギャンは19世紀末の西洋文明に背を向け、
“野生”を求めて一人南海の孤島タヒチに旅立ちました。
楽園を求め、終わることのない旅路の果てにたどり着いたのがこの作品でした。
先日、東京で展覧会が開かれました。
本邦初公開のこの大作をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
この印象的なタイトルは、洋の東西を問わず人類にとって永遠の問いであるといえるでしょう。

そこで今回は、少し難しくなるかもしれませんが、この謎に対するひとつの答えとして、
古代インドのヴェーダ科学の生命観についてお話したいと思います。
どうぞ最後までお付き合いください。

アーユルヴェーダの古い文献『チャラカ・サンヒター』によると、
生命は肉体、精神(心)、五感、真我(意識)により構成されているといわれています。
肉体、心、五感は常に移ろい行くものですが、真我は永遠不滅であり、
これこそ我々の本質であるといいます。
つまり、意識(真我)から心が生じ、心がからだを作ったというのです。

このことについて、もう少し詳しく見ていくことにしましょう。
『タイッティーリヤ・ウパニシャッド』に”人体五層論”という説があります。
まず、核心と、それを取り巻く五つの層からなる球体をイメージしてください。
このまあるい玉が人間で、その周りには世界(宇宙)が広がっています。
さて、その玉の一番表層は、肉体であり、五感を通して環境(宇宙)とつながっています。
これを“食物鞘”といいます。
すでにご存知のように、五感には知覚器官と行動器官があり、
知覚器官を通して五大元素(空、風、火、水、土)を取り入れ、
行動器官を通して環境に働きかけています。
ヴァータピッタカパ3つのドーシャは、このレベルで働いています。

つぎに、“食物鞘”のすぐ下にあるのが、“生気鞘”と呼ばれるものです。
この層では、プラーナ、テージャス、オージャスという3種類のエネルギーが活動しています。
プラーナ、テージャス、オージャスとは、
ヴァータ、ピッタ、カパの3つのドーシャに対応するもので、各ドーシャの精髄です。
“食物鞘”が「物質場」と呼ばれるのに対し、“生気鞘”は「エネルギー場」といえるでしょう。

“生気鞘”の内側には“意思鞘”があり、サットヴァ、ラジャス、タマスの心的エネルギーの
活動の場です。
さらにその下には“理知鞘”があります。
“意思鞘”と“理知鞘”は「変換場」とも呼ばれます。

“理知鞘”のさらに内側には“歓喜鞘”が存在します。
いよいよ核心に近づいてきました。
“理知鞘”の一部と“歓喜鞘”は「情報場」とも呼ばれ、記憶や、判断、知性が
インプットされています。
今まで「意識」という言葉を使ってきたのは、これのことです。

さて、“歓喜鞘”のすぐ下、玉の核心には、まばゆく輝き続ける“真我”が存在しています。
これこそ、我々の本質であり、“純粋潜在力の場”、“あらゆる可能性を秘めた場”なのです。
また、ここは“完全なる健康の場”とか、“自然治癒力の源”とも言われており、
末期がんの患者さんが、自然に回復してしまうといったような奇跡的治癒は、
この“歓喜鞘”や“真我”のレベルで起こると考えられます。

我々は、この“あらゆる可能性を秘めた場”から発し、命の情報が「変換場」を経て
エネルギーに転換され、さらにそれが肉体として具現化されたものである、というのが
ヴェーダの考え方なのです。

たとえ話があります。
今私は、パソコンでこの文章を入力しています。
入力が終わって、それをプリンターで印刷したとしましょう。
今までの説明で言うと、プリントアウトした結果が肉体です。
ところで、キーボードをたたいて文章を入力するためには、ソフト(プログラム)が必要です。
まず、OSのウィンドウズ(私はまだXPを使っております!)を立ち上げて、
次にアプリケーションのワードを起動させます。
これら一連のプログラムが、心(“意思鞘”と“理知鞘”)に相当します。
ところで、プログラムはパソコンを買えば付いてきますが、必ずそれを作成した人がいます。
ソフトの製作者(プログラマー)ですね。
これが“理知鞘”の一部と“歓喜鞘”を含めた意識のレベルに該当します。
プログラマー(意識)が作ったプログラム(心)に沿って、
文章(肉体)がプリントアウトされるわけですね。
ということは、プリントアウトしたものに何か不都合があった場合、
単なる入力ミスであれば、正しいキーを打ち直せばよいだけの話しですが、
プログラムに問題があった場合、いくらキー操作が適切であっても
望んだ結果は得られないということになります。
プログラムのバグを正す必要があります。
アーユルヴェーダが物質的なものよりも、
意識のレベルに対するアプローチを重視する理由がここにあります。
意識が心や肉体という結果(現実)を作り出しているわけですから、
その結果(現実)を変えるには大本に働きかけていくのが一番効率が良いのです。

それでは、意識のレベル(“純粋潜在力の場”)にアクセスするには
どうすればよいかということになってきます。
この“純粋潜在力の場”は、“純粋な静寂の場”とも呼ばれています。
我々が“純粋な静寂”を体験しているとき、我々は“純粋潜在力の場”にとても近いところにいる
ということになります。

ところで、“純粋な静寂”とは一体いかなるものなのでしょうか?
テレビやラジオを消して、物音がしない状態?
ノイズキャンセリング・ヘッドフォンをした状態?
おしゃべりをしないで、静かにしている状態?
当然ですが、これらは“純粋な静寂”とは言いません。
われわれは、生きている限り呼吸をしています。
吸って、吐いての繰り返しです。
また、自分の心を見つめてみると、たえず様々な思いが去来しています。
しかし、よーく観察してみると、呼気と吸気の間、思いと思いの間には必ず隙間(ギャップ)があります。
この、思いと思い(想念と想念)の間のギャップこそが“純粋な静寂の場”への入り口なのです。
また、そのギャップを通して、様々なインスピレーションがやってきます。
なぜならば、そこは“無限の創造性の場”でもあるからです。
純粋な静寂の状態とは、無念無想、無我の境地といっても良いでしょう。
心が心配事や、習慣的な想念で占領されていては、ギャップは限りなく狭くなってしまいます。
心を静め、ギャップを広げてやればやるほど、“純粋な静寂”に近づいて行くことが出来るのです。

そのためには、いくつかの方法があります。

1.沈黙や瞑想などにより”純粋な静寂“を体験する。
この連載でもたびたび引用している、ディーパック・チョプラ博士は次のように述べています。

瞑想とは心を無理やり静めることではない。
すでに心の中に存在している静寂な場所を見出すことが瞑想なのだ。
実際、心の底でざわついている罪悪感、心配、恨み、願望、幻想、満たされない希望、
ぼんやりした夢などを調べてみるなら、こうした内的会話が
文字どおり私たちをコントロールしていることがはっきりわかる。
私たちはみな、記憶の犠牲者なのだ。
このことは、何千年も以前からアーユルヴェーダの達人たちにはわかっていたことだった。
しかし、この内的会話というスクリーンのうしろには、まったく別のものが存在している。
それこそが、私たちが瞑想を通じて実現したいと願っている静寂である。
なぜそれが重要なのだろうか?
その理由は、静寂こそが幸福の生まれる場所だからである。
インスピレーションも、慈悲や思いやりといった優しい感情も、愛も、
その静寂から得られるのである。
これらの感情はいずれも非常にデリケートなものであり、
内的会話の混沌としたどよめきのために、容易に心の底に埋もれてしまう。
けれども、自分の心の中に静寂を見出した人は、
心配や怒りや苦しみなどを引き起こすでたらめなイメージには、もはや注意を向けなくなる。
(クォンタム・ヘルスより)

毎日20分でも30分でも良いですから、一人静かに心を内側に向ける時間を持ちましょう。
はじめのうちは様々な雑念がわき起こってくるかもしれませんが、
それをむりに止めようとはせずに、ただながめて、過ぎ去るに任せましょう。
また、自分の呼吸に意識を向けてみるのも良いでしょう。
続けていくうちしだいに、静けさが深まっていくことでしょう。

2.“無判断”を実行することにより、心の静寂を体験する。
我々は常に、さまざまな判断をしています。
あれはカワイイ、これはダサい。
これはいいけど、それは悪い・・・
こんなことをしていたら、ギャップはどんどん狭くなってしまいます。
物事の善し悪しを評価したり、いたずらにラベルを貼ったりせずに、
無判断の時間を増やしていきましょう。

3.自然に触れる。
エゴが肥大化した人間と違い、自然はあるがまま、英知に生かされ、調和のなかにあります。
野の花は、ただ咲き誇っています。
その自然のなかで、一体感を感じることが出来たら、自然の英知に触れることが出来るでしょう。

木村秋則さんという方がいらっしゃいます。
絶対に不可能といわれた、無農薬のりんご栽培に成功した人です。
テレビにも出て、『奇跡のリンゴ』という本でも紹介されているので、ご存知の方も多いでしょう。
この方が、失敗の連続、苦難の果てに新しいリンゴ栽培の方法にたどり着いたときの
エピソードです。
何をやってもうまくいかず、絶望して自ら命を絶つことを思い山に入り、さまよっていると、
ふと一本の野生のリンゴの木(実はドングリの木でした)を見つけます。
その木は、一滴の農薬の世話にもならずに葉を茂らせ、満月の光に照らされて、
美しく輝いていたのでした。
そのことがきっかけとなり、木村さんはついにリンゴの無農薬栽培に成功したのでした。
このときの木村さんは、まさに純粋な静寂の中、
自然の英知からインスピレーションを得たのでしょう。

以上が“純粋な静寂”を体験する方法ですが、
これは、サットヴァ(純粋性、進化を促進する力)を増やす方法でもあります。
サットヴァの質を増やすことにより、メンタル・アーマは解消され、
ドーシャのバランスも自然と取れてきます。
汚れた布を清流で洗うように、“純粋な静寂”を体験することにより、
蓄積されたネガティブな感情が浄化されていくのです。
“純粋な静寂”は計り知れない恩恵をもたらしてくれるのです。

サットヴァの質を増やす方法として、
ディーパック・チョプラ博士は次のようなことを付け加えています。
○誰に対しても気持ちよく、寛大にする。
○よく考えて行動する。衝動的に行動しない。
○怒りや批判は、それが正当であると思われるときも差し控える。
 (サットヴァに満ちた人は、「その人のためだ」といって人の弱さを指摘することはしない)
○遊び、ユーモア、くつろぎの時間や、良い友達と共に過ごす時間を毎日とる。
○朝は朝日と共に起き、夕方は夕日を見る。 月夜の晩、特に満月の晩は時々散歩する。
○消化に良い自然な食物を食べる。
 サトヴィック・フード[ミルク、サフラン、米、ギー(精製したバター)など(vol.15参照)]を
 とるようにする。
○他人に対して、あらゆる点で思いやりを持つ。
 ・自分の周りの人に贈り物をしたり、賛辞を送る。
 ・みんなの最も優れた長所を指摘する。
 ・自分で偉大になろうとするのではなく、人が自然に偉大だと思うようにする。
 ・サットヴァ的な人にとって、すべての人間関係は主に与える機会として存在する。
 ・このような基本的な態度に対する報酬は、自然はいつも人が必要としているものを
  充分提供しているということにある。
 ・このような思いやりと信頼が本当に花開くとき、サットヴァに満ちた人は、
  人生に何も恐れることがなく、人生からすべてを受け取るようになる。
 ・あるがまま自然に、人生を生きることができるようになる。
(クォンタム・ヘルスより)


月日のたつのははやいもので、また木枯らしの吹く季節がやってきました。
この連載は、今回が最終回です。
この連載を通じ、皆様にとって、いささかなりともアーユルヴェーダが身近なものとなりましたら、
これ以上の喜びはありません。
今までお伝えしてきたことは、どなたでもその気になりさえすれば、実行できることばかりです。
また、お金もかかりません。
何事もただ知っているだけでは、絵に描いたもちです。
どうぞ自らお試しになり、皆様の健康にお役立ていただけたら幸いです。
アーユルヴェーダは、個性を尊重する医学です。
現代の文明は、ややもすると画一的で、人間が機械の歯車の一部になってしまったかのような
観があります。
それが様々な面で極まり、人類は袋小路に入り込んでしまったかのような状況です。
我々は今まさに、歴史の断層を渡りつつあるのかもしれません。
しかし、それがいつになるかはわかりませんが、
これからは人間がより人間らしく生きていける時代が来るような気がします。
人はそれぞれ、咲かせるべき花の種をもって産まれてきたのだとおもいます。
明るく、健やかに、宇宙にたった一人だけの存在として、皆様がそれぞれの“個の花”を
咲かせられますよう願ってやみません。
この連載を終えるにあたり、『ブリハッドアーラーニャキャ・ウパニシャッド』から、
私の好きな詩句を引用して終わりたいと思います。

一年間ありがとうございました。

人は、自分の深い願望のごとくになる。
願望は、意図のごとくになる。
意図は、行いのごとくになる。
行いは、宿命のごとくになる。