ステキなひとにあいました
舞踊家・アーティスト/はんなさん

■まっすぐな努力家

花屋さんの店先が最もにぎわう春。
ひときわ芳香を放っているのがフリージアだ。
すっと伸びた茎、瞳をふせたように咲く可憐な花からは、瑞々しく、清潔な香りが漂ってくる。
西洋の花なのに、どこか日本的な潔さを感じる花。はんなさんには白いフリージアの姿が重なる。

宝塚歌劇団出身。在籍中は男役として活躍した。
退団後は170cmの長身を生かして、モデルや映画に出演。
現在は、日本舞踊家、モデルやアーティスト活動には「はんな」
Ballet Pixelle (ピクセレバレエ団※1)内では「Hanna Wah wah」
と名前を使い分け、多角的な活動をしている。

『3歳でバレエを、5歳から日本舞踊を始めました。
 もっと幼かった頃、雑誌でローブデコルテ姿のタカラジェンヌの写真を見て
 “絶対にこれを着たい!”と言ったようです。
 私は忘れてしまったのですが、母は宝塚に入るには踊りをやらせなきゃと(笑)』

幼い娘の一言を大切に受け止めてくれた優しいお母様の愛に包まれ
真面目で努力家の少女は、その才能をどんどん伸ばしていった。
特にバレエでは、埼玉舞踊コンクールで中3高1と連続して入賞。
周囲からは「未来のプリマドンナ」と期待も大きかった。



『自分でも迷いました。バレエは大好きでしたから。
 でも、同じバレエスクールの先輩が宝塚で活躍していらして、その舞台を観て
 受験資格のあるうちに一度は受けようと思ったんです。
 私は表現者でありたいと思っていたので宝塚の幅の広さに惹かれたんですね。
 エレガントだったり、ポップだったり。感情表現もバレエよりたくさんある。
 舞台上の人がみんな輝いて見えて私も同じ舞台に立ちたいと。
 それで受験を決めて、すぐに美容院に行って髪を切りました。
 身長が高かったので男役しか出来ないと思ったからです』

決めたらまっすぐ突き進む。男役ならぬ男っぽい性格なのだ。
厳しいことで有名な宝塚音楽学校。稽古漬けの日々も、はんなさんには望むところ。
日舞の成績は常にトップだった。

『でも、踊りすぎて歩けなくなったことがあるんです。
 不器用なんです。極限が分からないんでしょうね(笑)。

 その時、オステオパシー(※2)の先生に出会いました。
 多くの舞踊家や役者さんも信頼する方で、体を根本から立て直して下さる。
 本当に素晴らしいんです』

芸事が心の底から好きで、いつでも何事にも全身全霊。
おっとりとした見た目からは想像出来ないほど、どこまでも自分を追い込んでいく。
そうした姿勢が限界を上回り、体が悲鳴をあげてしまったようだ。
オステオパシーとの出会いは、その後のはんなさんの危機も救ってくれることになる。

過密な舞台スケジュールが続く中、完璧主義者のはんなさんは葛藤した。

—忙しすぎて、自分を鍛錬する時間がうまく持てない。
 これで良いものを、自分のベストを、常に提供出来るのだろうかー


元々男役を目指していたわけではない。
男役をやり続けることにも疑問が湧いていた。
はんなさんは宝塚を去った。



■いくつもの壁を乗り越えて

その後、モデルや女優への誘いも多々あり、いくつか仕事もこなしてみたが
しっくりとはこなかった。

『私、本当に器用じゃないんです。人見知りだし、話すのもすごく得意じゃないし。
 芸能界には向かないと思いました。
 それに、宝塚を辞めて、自分には「生きていくスキル」が何一つないことに
 気がついたんです。芸事ばかりしていて、普通の生活をしてこなかったって』

考えた末、一切の芸事をすっぱりとやめた。
ホテルの接客、人事課のOL、コールセンター、イタリアンレストラン、公認会計士事務所。
様々な場所で働いてみた。

芸のない世界。

それは新鮮で、「普通の生活」もそれなりに楽しかった。

だが、やはり「何か」が違った。

『悶々とした日々を送りました。
 悶々どころじゃないです
 もんもんもんもん(笑)』

普通の生活の大切さも、お金を得ることの大変さも、しみじみと理解している。
だから大好きな芸事を全部やめて、「一般社会」の中に身を置いてみた。
それでも、自分はお金を得るために働くのではなく、魂が震えるようなことを
仕事にしたいのだと思い知った。

—自分の素材を一番いかせることは何かー

これからの人生に、はんなさんが出した答えは「舞」だった。

『大衆演劇の早乙女太一さんの美しい舞姿に素直に感激したんです。
 私は、技術だけでなく感情を表現する踊りを目指していました。
 日本舞踊でもこんなに人を感動させる事が出来るのだと知りましたし
 美しいものは観る者を元気にしてくれると感じました。

 自分の顔が和顔で、骨格も日本人的だという
 事もあります。
 外国の方は日本舞踊が大好きですし
 日本舞踊ならば世界にも出られると思ったからです。

 5歳から教えて頂いた師匠が素晴らしい方
 だったことも大きな理由でした。
 日舞は個人レッスンですから、先生に拠るところは
 とても大きいと思います。
 幼い頃に先生の型を見て、自然に和のリズムが
 身に付いていたことが、どれほど有り難いのかに
 気づいたのは宝塚に入ってからでした。
 宝塚では、和のリズムが取れず苦労する人も
 多かったですから』


原点に立ち戻って師匠の門を叩き、名取り試験に向けひたすら精進していた時
とてつもなく大きな悲劇がはんなさんを襲った。

2008年12月。突然、はんなさんは倒れた。
救急車で搬送され、意識は一晩戻らなかった。
積年の過労とストレス。貧血状態で意識を失い、狭い場所で倒れたため
多くの打撲を負ったことが症状を悪化させた。
「最悪の場合、このまま意識が戻らない可能性もある」との診断。
幸いにして意識は取り戻したものの、顔は大きくずれ、歪んでしまった。
まばたきさえも難しく、右腕も麻痺して動かない。完治は難しいと告げられた。

『この顔では、もう表には出られない・・・
 右手が動かないから、舞は出来ない・・・』

舞踊家として致命的な後遺症。
深い絶望。神様が芸はもうやるなと言っているのだと思った。

諦めかけたはんなさんを救ってくれたのは、家族と友人たち。
そして、宝塚時代から通うオステオパシーの先生だった。
懸命なリハビリを続け、無理だと言われた顔面の歪みは、治った。

『傷は今も胸に残っていますが、顔は奇跡的に戻りました。
 それからは自分の意識が変わりました。



 倒れる前の自分は何事も真正面から受け止めて考え過ぎていたし
 抑制し過ぎていたのだと思います。
 日舞では生活が出来ないとか、好きなら趣味でやればいいとか
 言われたことも、どこかで大きなストレスになっていたのでしょう。

 だから、これをキッカケに生まれ変わったのだと思って
 明るく生きていこうと思いました。

 普通に動けること、当たり前に思える事に
 あらためて感謝しています。
 素晴らしいご縁に恵まれた事にも
 心から感謝しています。
 本当に辛かったけれど、これがあったからこそ
 分かることがたくさんある。
 芸の道を進むために大きな財産を頂いたのだと
 今は有り難く思います』

■美しさの秘訣

大きな病気を乗り越えたはんなさんの健康法を聞いてみた。

『食いしん坊で、甘いモノが大好きなのですが、オーガニッククルー(※3)の“満月に届く
 オーガニック フルムーンボックス”をとって、季節感を感じながら有機野菜を食べています。
 体力が資本ですし、美も求められる。ならば、まず体の中からだと。
 おかげで体調は良いですし、疲れても甘いものを控えられるようになりました。
 後は、ゴマを食べたり、お水を良く飲むようにしています。
 10年間続けている「長時間座らない」「毎日歩く」の2つは今も実践しています』

白くてきめ細かい肌には、何か特別な方法があるのだろうか?

『無頓着だったのですが、白塗りのお化粧は素肌がそのまま反映されるので
 保湿を心がけています。とにかく化粧水をジャブジャブたっぷり使う。
 でも、一番大切なのは「心の健康」ですね(笑)』

趣味は散歩。
時間が出来るとお気に入りのジャージーと
スニーカーで川沿いを歩く。デパ地下も大好き。
散歩の帰りにジャージー姿のまま立ち寄って
あれこれ試食する時間は至福だと言う。

芸に邁進する傍ら、家族で経営する
出版の仕事も手伝っている。
お父様自らが書き下ろしている「オーダー絵本」は
大変評判も良く、はんなさんは営業から、時には
製本までも関わる。
宝塚時代からの「はんな」という芸名も、お父様の命名。
聖書から引用した名前に「はんなり」という京ことばをかけたという名前は、 日本的なのにどこか外国的な雰囲気のある彼女にぴったり似合っている。

■今後の目標

真面目で不器用ゆえに、壁にぶつかってから考える。
その度に強く、しなやかになって進んで行く。
はんなさんの目標はどこにあるのだろう。

『夢はCMで舞う事。
 日本舞踊をもっと見て欲しいし、知ってもらいたい。
 それには、毎日繰り返し流されるCMが一番。
 ほんの一瞬の短い中で、全てが伝えられるように舞いたい。
 そのためにも、今はもっともっと経験を積みたいです。
 1回でも多く踊れる場を得たい。
 観た方に感動を与えられるような舞をしたいです。

 舞台には日頃の行いが出る。人間性が表れます。
 だから、真摯に誠実に、嘘のない人生を送りたいと思います』

もう迷わない。
人の意見ではなく、自分で決めた道。後悔はない。

『芸だけでなく、女性として結婚もして子どもも欲しい。
 両立は大変だと思うけれど、一度の人生なので全部やってみたいですね』

まっすぐに前を見つめる瞳は、凛と輝いていた。



※1:創設者であるInarra Saarinenが主宰する仮想世界 初の本格バレエ団。 セカンドライフ内の IBM島群に用意され たピクセレバレエ専用劇場で公演が行われる。 アバターを操 作するメンバーたちはプロの振付家やバレエダンサー、ソシアルダ ンスの経験者、 コンピューター分野の科学者、マルチメディアのク リエイティブプロデューサー、ミュー ジシャンなど様々で、 現実社会で専門家の顔を持った人たちにより、世界各国からイン ターネットにログインし、それぞれの場所のPC画面を前に キーボードやマウスを操作し、サイバーペースに用意された舞台で 一つの作品を完成させている。 衣装や舞台コンセプトなどもアート 的で“サイバーアート”という新ジャンルとして注目を集めている芸術集団。
URL: http://www.balletpixelle.org 問い合わせ先: info@balletpixelle.org

※2:“オステオパシー”とは、オステオ(Osteo)「骨」と、パシー(Pathy)「病理、治療」の組合せ語。アメリカの医学博士アンドリュー・テーラー・スティル(Andrew Taylor Still) (1828〜1917)によって1874年に創始された。自然治癒力を引き出し、健康を回復させる手技療法を含んだ総合医療体系。

※3:オーガニック商品専門通販 www.organiccrew.com


現在“和楽”舞踊家メンバーとして、日本の伝統芸能や和文化を
より身近に楽しんで頂く事を目標に活動中です。
“和楽”の優雅な舞と共に、懐石料理を楽しんで頂くプランが
3月よりスタートいたします。(はんな)

『日本の舞を楽しむ懐石プラン』
ご招待に本格的な懐石料理と日本伝統の舞踊鑑賞を楽しんでいただくプランはいかがでしょうか。 お料理とともに、白塗り、着物姿のプロの舞踊家による優雅で華やかな舞をお届けいたします。 ご鑑賞の後は記念撮影やご歓談も。日本文化をより身近に感じていただきますので、海外のお客様の おもてなしにも是非ご利用ください。

京王プラザホテル2階/懐石<蒼樹庵>個室
1名様 36,000円(日本舞踊鑑賞、お料理、室料、税・サービス料込)
出演:和楽 
※4名様以上、要予約。

1ステージ(約10分)、記念撮影、ご歓談 合計約1時間が含まれます。
※4〜8名様の場合は舞踊家2名、9〜22名様の場合は舞踊家3名となります。

花柳はんなさん

●舞踊家・アーティスト
はんなさん HANNA

2001年 宝塚歌劇団入団
「ベルサイユのばら2001」で初舞台
花組所属で数々の公演に出演
2007年 退団
2008年 映画「大決戦!超ウルトラ8兄弟」に
看護士役で出演
2009年3月 花柳流名取「花柳はんな」になる
2009年4月 イズミカワソラ代表のフリーマガジン「Dog-Rights」にモデルとして出演
2009年10月 花柳会神奈川支部
三世宗家家元追善舞踊会出演
2009年 Ballet Pixelle所属
2009年12月 創作舞踊ユニット「和楽」に所属

●はんな日和
http://ameblo.jp/ono1300/

Back Number

15:今を輝く 堀場園子さん
14:和妻師 北見翼さん
13:川崎市岡本太郎美術館 館長/村田慶之輔さん
12:八百屋 瑞花店主/矢嶋文子さん
11:舞踊家・アーティスト/はんなさん
10:画家/鰐渕優子さん
09:水中カメラマン/中川隆さん
08:創作ビーズ織り作家/佐古孝子さん
07:コナ・ディープ(ボトルドウォーター)
06:ミュージシャン/ヨーコさん
05:オルガヘキサ/相田英文さん
04:絵師/よしだみよこさん
03:一級建築士/嶋基久子さん
02:ニードルフェルティスト/華梨(かりん)さん
01:公認バース・エデュケーター/飯村ブレットさん