![ステキなひとにあいました](img/title.gif)
八百屋 瑞花(すいか)店主/矢嶋文子さん
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大きなスーパーが買い物の主流になり、昔ながらのお店屋さんは徐々に
町から姿を消していった。お魚屋さん、お肉屋さん、果物屋さん・・。
しかし、2009年8月、新たに一軒の『八百屋さん』が開店した。
場所は東京都新宿区。駅からは遠く、商店街でもない。
家業が八百屋さんだったわけでもない若い女性が、たった一人で立ち上げたお店。
それが、八百屋 瑞花(すいか)だ。
■美味しいものは笑顔を生むから
大通りに面したお店は、こじんまりと質素なたたずまい。
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浅葱色の暖簾が初々しい。
店内の装飾も至ってシンプル。
白い壁を背景に色とりどりの野菜や果物が
優しく眠るように置かれ
その息づかいで、3坪余りの空間には
瑞々しい「気」が満ちている。
生産者の名前や野菜の特徴、食べ方などが
さりげなく書かれた手作りカードからは
ここを訪れる客への細やかな心配りが感じられる。
オーガニックのお店にありがちな
「独特の力み」は一切ない。
清潔で、落ち着いていて、ホッと和む空気感。
店主の人柄そのものなのだろう。
一人できりもりするのは矢嶋文子さん。
店名の「瑞花」とは豊年の前兆となるおめでたい花のことで、「雪」の異称でもある。
本来は「ずいか」と濁るが、矢嶋さんは濁らせず、あえて「すいか」と読ませている。
その清涼感は、この店のコンセプトにとてもよく似合っている。
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そんな笑顔がみたいと思ったんです』
開店の動機を聞くと、弾けるような笑顔で答えてくれた。
だからと言って、思いつきだけで八百屋は開業出来ない。
どうして八百屋さんに至ったのだろう。
食べることが大好きだった矢嶋さんは
大学卒業後2年間、チョコレート屋で店長を
つとめ、その後経理を学ぼうとOL生活に入る。
『でも、適正による振り分けで経理ではなく能力開発部門に行っちゃって(笑)』
就いた部署は製品の開発と営業、インストラクション。望んだ部所ではなかったが、
まじめで誠実な性格が認められ、4年間で事務局長にまでなった。
仕事を始めた矢嶋さんは、周囲の疲労とストレスの大きさに気づき驚いた。
『自分もそうだったと思うのですが、ぐだ〜としていて、地下鉄に乗っていても
みんな顔に生気がないんです。
その時思ったのは“あ、これは美味しいものを食べていないからだな”と(笑)。
単純な発想だったんです。
美味しいお菓子を買ってきて友人と食べたりすると、それだけで気持ちが和んで、
次のステップに進めたりしました。
美味しいものは笑顔を作ってくれるんだと思いましたね』
美味しい食べ物が持つ力。食べることはとても大事だと実感した。
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大阪への転居をきっかけに、矢嶋さんは思い切って調理学校に通い始めた。
『OL時代は深く考えていなかったのですが、食べることは体を作る事だと思い、
自己流でなく、ちゃんと基礎を学ぶことにしたんです。
何を食べるかきちんと知識を得たいし、素材を生かすためには調理テクニックも
必要ですから』
ふんわりとした雰囲気の矢嶋さんだが、考え方はとてもしっかりとしている。
彼女が選んだのは、一流の料理人も多数輩出している老舗の調理師学校。
フレンチレストランでバイトをしつつ、月曜から金曜まで、夜間に1年半
包丁の研ぎ方からみっちりと学び、調理師資格を取得した。
授業は厳しかったが、その分実習で使用する材料も一流、良い人脈も得られたという。
しかし、矢嶋さんの勉強はここで終わらなかった。
なんと築地の青果卸店『築地御厨(みくりや)』に弟子入りしてしまったのだ。
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食事のことを考えた時、野菜は基本だなと思って。
野菜だけの食事はありますが、食卓に肉と魚だけ
ということはあり得ないですよね。
野菜がなければ、ご飯も、お味噌汁も、お醤油などの
調味料すらなくなってしまいます。
そう思ってある方に相談したら“じゃ、日本一の
八百屋紹介してやる”と言われて(笑)』
それまでの人生設計に「八百屋」の文字は全く無かった。
しかし「修行の過程だからあり得る話」と
素直に受け入れたという。
柔軟さと芯の強さ。その両方を兼ね備えた彼女だから
出来た選択だろう。
『でも、驚きましたよ。初めて話に行って、次回何時に来たら良いか訪ねたら“朝の3時”って(笑)』
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「八百屋」しかも築地の「卸し」での修行。
野菜がキレイとばかりは言っていられない。
汚い仕事もたくさんある。
大量の野菜をさばく作業はただ丁寧なだけでは
出来ないことも知った。
しかし、さすが日本一の八百屋と言われる店。
良いもの、珍しいもの、たくさんの野菜に触れた。
大将からは野菜の基礎を一から教えてもらった。
夢中で過ごした修業時代は驚きの連続だった。
何よりの驚きは、季節感を肌で感じたこと。
『朝ってこんなに気持ちがいい。空気ってこんなに季節で違う。
東京でも、季節の変化はこんなにあることを、修行中に知りました。
旬野菜を知ったことも季節を感じる大きな出来事でした。
いつでも何でもあるスーパーでは分からなかった。
やはり人の手の及ばないものだと感じました。恐れ入りました!という感じでしたね』
矢嶋さんは生まれも育ちも新宿区牛込地区。
お店のすぐ近く、開基が加藤清正という由緒正しいお寺がご実家だ。
『小さい頃は、行事があると家で百人分位のお弁当を作っていた記憶があります。
女たちが総出で、塗りのお重にお寿司やお煮染めを詰めて。
私は“あー、おまつりが始まった”って思ってましたね(笑)』
父親はみんなで食べること、誰かと分け合って食べることをとても大事にしていた。
まだ字が読めない幼い矢嶋さんに、
「あやちゃん、ここにはお父さんと一緒に食べましょうって書いてあるんだよ」
とお菓子の箱を示しながら教えたと言う。
お寺という環境と、食事は必ず家族一緒という家に育ったことが
現在の矢嶋さんの考え方に少なからず影響を与えているのは間違いない。
そして、都会生まれだからこそ、自然への思いを強く抱けるのかもしれない。
■街に小さな種を蒔く
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矢嶋さんと楽しそうにお喋りをしながら、野菜を選んでいく。
自然栽培、有機栽培を中心に、旬にこだわった品揃え。
根菜やキノコ類は少量でも買える量り売り。
トマトやジャガイモも1個から買える。
オススメの野菜は試食用に調理をしておく。
簡単なレシピも好評だ。
その場で生のままをすすめることもある。
ただ切っただけのマッシュルームのなんと香り高いことだろう。
お客さんの驚く顔に、矢嶋さんは嬉しそうに微笑む。
穏やかに、しかしテキパキと接客をこなす姿は自然体でありながら
都会の女性を感じさせる。
仕入れは修業先の『築地御厨(みくりや)』。
有名レストランのシェフたちからも絶大な信頼を得ている大将のもとから
小口でも仕入れさせてもらえる瑞花の野菜たちは、いつも新鮮そのものだ。
安いとは言えないが、その鮮度と味を知れば、決して高くはないことがわかる。
開店に際して親から言われた言葉は「借金はしないこと」。
半年を過ぎ、贔屓にしてくれるお客さんも増えてきた。
『私がここでやりたいのは、消費者が美味しい野菜の目利きが出来て
美味しいもの選べるという姿勢を広めたいんです。
もしこの店がなくなっても、消費者の目が高くなれば
生産者もそれに応えてくれると思います。
自給率を保つためには、野菜工場を含めた様々な生産方法が必要なのかもしれませんが
自分の体に何を入れるかを考えた時、それがどのような履歴で作られているかを
消費者が知っていく必要があると思います』
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最近では農家さんの知り合いも増え
時間を作っては現地に赴くようにしているという。
農業について、その土地の気候風土のことについて、タネについて。
勉強することは、まだまだ山ほどある。
『 この頃、土を触った時、感触で分かるようになってきました。
良い土ならば、野菜に付いた土ごと料理しても大丈夫なんですよ』
■食のプロジェクトを考えて
『食には大きく2つのファクターがあると思います。
一つ目は何を食べるかによって体は作られるということ。
二つ目はきちんと丁寧に愛情込めて作られたものが心を作って行くということ。
ですから、食材も大事ですし、調理もとても大切だと思うんです』
調理学校に通っている時、矢嶋さんは『食』を『自分のプロジェクト』として考え始めたという。
そのために必要な項目を書き出してみたが、そこにはエビデンス(証拠)が全く無かった。
自分の信じる「感覚」を論理的に整理するために、矢嶋さんは勉強を続けた。
唐突に思われる八百屋開業も、実社会でキャリアを積んだ女性が導きだした
プロジェクトの一環なのだ。
『プロジェクトは3つの柱で成り立っています。
食材を買える場所を提供すること。学ぶ場所を作ること。
おいしく食べられる場所を作ること』
食材を提供する場。今はここに着手しているところだ。次は学ぶ場所を考えたいと言う。
『調理方法だけではなく、楽しく料理することや、心と体、食と体のことなどが学べる
場所を提供したいと思っています。
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特にこれから赤ちゃんを産む世代や
産んで育てている世代を重点的に考えています。
小さい時に食べたものは味覚のベースになるので
きちんとした味覚体験をさせておくのは
とても重要だと思います。
子どもの時にきちんとした食事をしていれば、
成長した時必ずその味覚に戻ってきます。
そのために、子どもを持つ世代の方が学べるようにしたいんです。
もちろん、どなたにも来て頂きたいのですが
大人の方はある程度、味覚も嗜好も出来上がっていますからね。
また、母体がきちんと整っていれば健康な子どもが生まれると思いますし、
母体も楽だといいますので、赤ちゃんを産む世代の方にもっと食への興味を持って
頂けたらと思います。それに、母乳は何を食べているかダイレクトでしょう?
お母さん達は食の知識を持って子育てをしていくべきだと思いますし
次世代を育てていくという意味でも食の知識は必要だと考えています。
きちんとした食事は、病気になりにくい体も作ります』
調理師免許も持っているが、レストランは一番後回しだという。
『調理師と言っても基礎を学んだだけですから。
自分の出したい料理が作れるようになるまでは、それなりの経験を積まないと
できないので、まだまだ修行が足りません。今はこれしか出来ないんです。』
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■あなたが食べるものがあなた
今も日々勉強だという矢嶋さん。知識も経験も積み重ねているが、彼女の強みは
「感性」を信じられることだろう。
人間が生物である以上、おいしいと思える物は体にもいい。
だから、美味しいと分かる「味覚」が整っていることが大切なのだと言う。
『見た時に“おいしそう”と感じ、“やっぱりおいしかった”と言える。
単純なことが大切なんだと思います』
この明快さ。難しい農法やガチガチの堅苦しい理論ではなく、基本はシンプル。
生物としての人間の力を信じている部分が、彼女の芯を形作っている。
『日々の食卓の中で、自分の体の中に“すぅ”と入って“ほっ”とする食事が
基本だと思います。
この簡単なことを、少しずつでも伝えて行ければと願っています』
ひたむきに突き進む原動力は、ただおいしい物を食べるのが好きだから。
そして、おいしかったと言ってくれる笑顔が好きだから。
我を押して、絶対こうなりたいという目標は持っていない。
周囲の人を含めて楽しくなっていければ幸せだと語る。
日本では医食同源といわれるが、英語にもイタリア語にも、同じような意味合いの
言葉がある。
—あなたが食べる物があなたですー
八百屋 瑞花の野菜は、矢嶋さん自身に他ならない。
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