![ステキなひとにあいました](img/title.gif)
創作ビーズ織り作家/佐古孝子さん
ビーズを織る
![](img/08photo01.jpg)
![](img/08photo02.jpg)
描かれているのは「源氏物語 紅葉賀(もみじのが)」。
光源氏と、親友にしてライバルでもある頭の中将。
才気あふれる二人の美しい青年が、
帝の前で祝賀の青海波を舞う、
物語の中でも最もきらびやかな場面の一つである。
どなたの筆によるものかと、よくよく顔を近づけてみると・・・。
絵筆の色彩に見えたものは、すべて小さな「ビーズ」!
しかも、織りあげられているという。
驚くようなこの作品を生み出したのが、創作ビーズ織り作家・佐古孝子さん。
わずか1.8ミリのビーズ。
そのビーズでアクセサリーからハンドバック、大きなタペストリー、
はては立体までをも作り上げてしまう。
ビーズと言えば、女の子の「手芸」で、細いテグスに「通して」アクセサリーを作ったり、
「刺繍」をイメージするが、すでに「芸術」と呼ぶ方がふさわしい佐古さんの作品は、
ガラスのビーズを織って作られる。一体、どうやって「織る」のだろう。
![](img/08photo03.jpg)
たおやかで、おっとりとした語り口。このお人柄が作品に表れるのだろうか。
丁寧に織り上げられた作品は、どれも優美で気品高く、美しい。繊細な手さばきで繰り返される織り。 織り幅は自分の肘まで。
そうしないとビーズがきちんと挟めないからだ。 一見、優雅に見えるが、実は気が遠くなるほど根気のいる細かい作業が続く。
しかし、本当に大変なのは、「織りに入る前」なのだと言う。
1粒に魂を込めて
一つの作品を作る時、佐古さんはまず「イメージ」をする。
それが全くのオリジナルの時もあれば、何らかの芸術作品をビーズ織りで再現する場合もある。
イメージが固まったら、次に調査。
源氏物語の屏風絵のように、
![](img/08photo04.jpg)
それらの作品の、出来るだけ本物を見に行く。
日本になければ外国へも行く。
何度も、何度でも、納得するまで見て、
自分なりのイメージを固めていく。
参考になるものを見て歩くことは
もちろんのこと、出典があればそれを読み込み、
当時の風俗、しきたりなど、
描かれている様々な事柄をつぶさに調べていく。
そして、いよいよ自ら原画を描く。再現する場合でも、まったくの模写ではない。
ステキだと思った部分をビーズで表現するにはどうしたら良いかーその事を考えながら、
自分なりにアレンジをしていく。
ここまでも大変な労力だが、本題はここから。
原画を、ビーズと同じ1.8ミリの大きさの方眼紙に描き起こしていく。
この方眼紙に描く作業を、佐古さんは「1.8ミリに刻む」と言う。
伸びやかに描かれた絵をマス目に合わせていくのは、まさに絵を刻んでいくような感覚だ。
![](img/08photo05.jpg)
構図を考えたり下絵を描くことと、「刻んでいく」作業は、全く異なる。
前者が芸術的だとすれば、後者は建築的とでも言ったらよいだろうか。
そして、集中力と根気が勝負の、まさに「根を詰める」という言葉が最も似つかわしい作業だ。
絵ならば、一気に色を塗ってもいける。
しかし、ビーズでは、思い通りの色合いに見えるよう、約500種ある色をちりばめ、
その配置も決めていかねばならない。
![](img/08photo06.jpg)
解いて織り直す事もあるという。
「1粒の位置」がここで決まる。
だから、全神経を注いでいく。
『特に、人物の顔は“1粒が命”です。
顔は、作品の出来を大きく左右する命ですから、
顔の1粒は命なのです』
ここまでは誰にも任せられない。
どんなに大きな作品でも、すべて一人で行う。
この一連の作業こそが、佐古さんの作家としての真骨頂だ。
出来上がった方眼紙は数字に起こされ「目数表」が作られる。
織る時は、その数字を見ながら織っていく。だから、技術さえあれば織れる。
しかし、デザインを起こし、刻んでいく過程には、圧倒的な想像力と表現力が必要だ。
「織る」ことは、佐古さんにとっては始まりではなく、すでに最終段階なのだろう。
![](img/08photo07.jpg)
最近では、再現したい絵をパソコンに取り込んで、方眼に起こす人もいるという。
だが、佐古さんはそれをしない。
『それでは同じ絵になるだけ。コピーになってしまうと思うのです。
私が必ず自分で描くのは、自分の好みを映して誇張したり削除したりして、
自分らしさを出したいからです。どれをステキだと思ったのか、何に惹かれたのか、
どう表現するかを、試行錯誤しながらイメージしていくことにこそ面白みがあります。
それに、何でも織れば言いというのではなく、ビーズで作った良さが出なければと思いますね』
だから佐古さんは妥協をしない。1粒でも違うと思えば、やり直すことをいとわない。
どこが違ったのかを探し、数を合わせ、もう一度目数表を書き直し、織り直す。
この工程も面倒だとは思わない。それは「もっと良いものを作りたい」から。
『直すのは、織るより大変です。でも、私は好きなんです。
だって、直したらもっと良いものが出来るでしょう。
だから“私は直し屋がいいわ”と言っている位なのですよ』
ビーズの神様に見初められて
小さい頃から、絵が好きな少女だったと言う。
自分の描いた絵を褒めてもらうと嬉しくて、どんどん絵が好きになっていった。
小学校5年生の時には、なんとアメリカに出品して見事入選。
当時は珍しい、薄紙に英語が金字で印刷された賞状と、数ドルの賞金が贈られた。
カトリック系の中学高校時代には、代表して各教室の黒板にクリスマスカードを描くような大役にも抜擢された。
一方で、能や仕舞、茶道や華道を習い、日本文化の奥深さにも触れていた。
現在の仕事に通じるベースはすでに着々と作られていたのだ。
しかもその頃、自宅に近くにはビーズ屋さんがあり、
自分の描く絵にビーズを使うこともあったという。そして、親戚は「針」の工場を持っていた。
『まるで運命のように、ビーズは私のそばにいつもあったのです』
本人はビーズで身を立てるとは夢にも思っていなかったが、
神様は彼女を離さなかった。
結婚してニューヨークに滞在中、ここで、まるで運命のようにビーズ織物に巡り会った。
『今振り返ると、“天の声かしら”と思いますね』
それからは、ビーズ織りの研究、技法の開発、独自のデザイン研究と創作活動を続け、
同時に、全国で教室や講座を開設。ビーズ織りの普及活動も精力的に行っている。
スタッフが帰った後、深夜まで作業する事も珍しくない。
それでも、佐古さんは辛くないと言う。心の底からビーズ織りが好きでたまらないからなのだろう。
どんなに忙しくても、良いものを見たら織りたくなってムズムズするのだそうだ。
![](img/08photo08.jpg)
『動きや音、風や匂いを感じられるように織りたいと思っています。
織物は平面ですが、立体をイメージ出来るように心がけていますし、
さまざまな形のものを作ってみたいですね』
布のようなビーズ織りの特性を生かして、
能衣装の制作も手がけた。制作日数約2年。
![](img/08photo09.jpg)
重さは14キロにも及ぶ。
『私にとってビーズ織りは、
自分自身を表現するものなのです』
ビーズ織りについて語る時、
佐古さんは常に笑顔で楽しそうだ。
愛おしいと言われて育まれた植物の方がキレイな花を咲かせるように、ビーズ織りを愛してやまない人の手から紡ぎだされた作品は、ビーズの光だけではない輝きに満ちている。