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今回は、「日本人のアイデンティティを育む会 紫薫子の会」を取材しました。
「紫薫子の会」は、日本文化の根底に流れている「日本の心」を伝えることを目的とし、
日本の伝統文化総ての分野に触れる機会を提供し続ける特定非営利活動法人(NPO)です。
会を立ち上げたのは二人の舞踊家。
日本舞踊家の家系に生まれながら、一度は日本舞踊から離れ八年半の海外生活を経て
舞踊の世界に戻ってこられた藤間I瀧(ふじま しゅうりゅう)さんと、
タカラジェンヌとして活躍されていた花柳廸薫(はなやぎ みちかおる)さんです。
日本舞踊以外の世界を経験してきたからこそ分かる「日本文化継承の意義」と「日本舞踊の持つ力」。
流派の違いを乗り越え、情熱をもって活動するお二人に、大きな志を伺いました。
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藤間(以後 藤):文字を見てお分かりの通りです。
「紫」は藤間の象徴。「薫」は廸薫の薫。
花柳と藤間という、日本舞踊界の大きな二つ柱で作り上げたというニュアンスを入れました。
「子」は「新しい志」という意味です。それで「紫薫子」と。
それから、我々の業界の方ならどなたでも知っている「四君子(しくんし)」という
清元の演目があるのですが、その言葉の馴染みから、
この文字を「しくんし」と読ませる事をひらめき、最後まで「初めの志」のままで行けるように
との思いを込めて、こう名付けました。
藤:まずは「人が嫌がるような、面倒くさい基本を省かない」ということです。
これは、僕達がやらなかったらずっとおろそかにされてしまう、という思いがありますので、
手抜きは出来ないという気持ちでやっています。
ここが、絶対忘れてはいけない志だと思っています。
「余人をもって代え難し」と、そうした気概を持ってやっています。
花柳(以後 花):「日本舞踊を継承する」と一口でいいますが、
形を継承する事は出来ても、その心までを継承する事は、面倒くさくてなかなか出来ません。
日本舞踊の師範試験の勉強をしている時に感じたのですけれど、
日本文化には全てに「意味」があります。そこを伝える事によって、
基本的な、根源的な部分を分かってもらえるような、理解して頂けるような
指導をしたいと、常に思っています。
花:まずは「日本人が日本人の心を取り戻すための活動をする」ことです。
日本人が日本文化に深くたずさわらなくなってから随分とたちますね。
西洋文化ばかりが重要視されるような世の中の流れの中で、日本人の心をもっと大切にできればと考えています。
次に「自国の文化を愛し精通した真の国際人を育む」ことです。
国際社会と叫ばれていますが、自国の文化をもっと学ばないと、
国際社会に出ても他の国の人たちと対等には付き合えないだろうと思ったからです。
大きくは、この2つですね。
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1. レクチャー&パフォーマンス
日本伝統文化・芸能の水先案内人としての役割。
各分野の専門家を招き、国の内外を問わず、愉しいトークと実演を交えて、分かりやすく解説。
2008年度よりは、文化庁委託事業「伝統文化こども教室」事業に参加。
次代を担う子供たちに伝統文化を伝えている。
2. 日本伝統文化・芸能体験講座
日本古来の衣食住、芸術、芸能、総ての分野の専門家を招いての体験講座を開催。
3. カルチャー・エクスチェンジ
国内外を問わず、外国の方々に日本の伝統文化及び芸能を紹介。
4. 日本伝統文化・美術工芸・芸能に触れる情報、資料、催物の提供。
いつ、何処へ行けば何が見られるかの情報を提供。詳細を知りたい方への資料の紹介。
5. 稽古場の紹介
日本伝統文化・美術工芸・芸能を学びたい方々へ、場所から費用まで詳細な情報を提供。
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藤:僕は代々日本舞踊の家に生まれまして、
その仕事の繋がりの中で、是非紹介したい人がいると言われて会ったのが初めてです。
それで、会ったら「え〜?僕と同じような思いで伝統芸能をやっている人がいるんだ!」と、
とても驚きました。
実は、僕は基本的に同業者をあまり信用していないんです。
仕事の付き合いはするけれども、一緒に、心を許して、「志」を持って未来のためになんて
思っている人は探さないといないと思っていましたから。
花:探してもいないかも知れませんね。(笑い合う)
私は3歳から日本舞踊を始め、その後、父の勧めもあって宝塚に入りました。
洋の東西を問わず色々な芸能に触れる中で痛感したのは
『どんなに一生懸命やっても、洋物はその国の人が本気でやったら到底かなわない、
自分たちは真似事にしか過ぎない』と言う事でした。
それで、日本人だったら日本人がやることをやるべきだろうと思い、
宝塚を辞めてから本格的に日本舞踊に向かったのです。
「日本舞踊は認知されていない」という事を強く感じていた私は、
日本舞踊を広めたいという思いがあり、当時は神戸におりましたので、
外国人の方を対象に色々なパフォーマンスやレクチャーをしたり、イベントを催したり、
自分なりに工夫をして活動を始めました。
舞踊家として一本立ちしたのは、阪神淡路大震災の翌年のことです。
この時に、踊りを見て頂くだけではなく、踊りによって何かを伝えていく事の大切さを痛感致しました。
この頃、あるイベントでご紹介頂いたのです。あれは、島根県の益田市だったでしょうか?
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藤:ほんとに(笑)。
花:「どのように活動しているのですか」と聞いてこられたので、
「何も出ませんが、もしご興味がおありでしたらご一緒なさいますか」と申し上げたら、
即答で「行きます」とおっしゃって。
外国人クラブでレクチャーをするという仕事だったのですが、
それが初めてで、それから、ですね。
藤:僕は海外生活が長かったので、
海外から見た日本文化、海外の人が日本人をどう見ているかという意識は
普通よりもあると思いますし、かなり敏感です。
そして、たまたまこのような出会いがあったので、
面白そうだな、こうした機会があるたびに出来たらいいかな、と思ったのです。
でも最初は、彼女がやってきたようなことをやるのは、正直「僕は無理だな」と思いました。
あればやるけれど「作っていく」なんて難しいと。
どのようにやるのかも分からなかったですし、その頃はまだまだ修行中で手一杯でしたし、
家の仕事が忙しかったので、そんな時間もない。
他の仕事に没頭するとか、ましてや、これから自分で、家の仕事とは別に
こうした世界を作っていくとは、考えてもいませんでした。
ただ、心の中では、日本舞踊をもっと違う人たちに知ってもらえたらいいな、
という気持ちはありました。
今振り返ると、外国人に対してのイベントを、「どういう風にやるか教えて」という、
本当にちょっとした話からでしたね(笑)。
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花:それぞれのポリシーというか、考え方があって、よくケンカもしますよ。
いつも最後に私は「石頭、わからずや」って言うんですけれどもね(笑)。
藤:あんまり言われると、僕って「石頭」なのかなって本当に思っちゃいますよ。
花:これは、お会いした当初からずっと言っています。
私は、事務的な事やマネジメント的な事、いわゆる物理的な動きを「全部」考えて、
その上で判断しています。でも、こちらは「それでも、やりたい!」とおっしゃるので「石頭」と(笑)。
まぁ、そうは言いつつも、本物が見えている部分は私も感じておりますし、
お互い良いものを作りたい気持ちだと分かっているので、ちょっと頭を冷やして考えるんです。
すると、何となく道が見えてきたりしますね。
こちらも「石頭」と言われて、ちょっと頭を冷やして、譲歩しながら考えるようです。
そしてあらためて話し合うと「でしょう?」みたいな(笑)。
藤:僕は全然数字がダメなので、その部分は総て彼女に任せています。
いかに良いものが作れるかしか考えない、それに徹底したんです。
だから、まず「僕はこうじゃなきゃ嫌だからね」「こうしたい!」って、言うんですよ。もう、それだけ(笑)。
口論になってカチンときた時も、生意気だとか、年下だから、女だから、と言った事で
反論しているわけではないので、その時は納得出来なくても、ちょっと間をおくと
「あ、やっぱりそれでいいかな」となれますね。
『志が一緒』という確信があるので「言葉尻で引っかかって口論したからと言って
プロジェクトもダメになるという事はない」と信じているからです。
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花:パフォーマーである部分と事務的な事をやらなければならない部分って、
脳が真逆なのですね。去年1年間は事務的な脳が回転をしていたので、
感性が止まってしまって、非常につらかったです。
私、踊りをやめた方がいいかしら、その方がうまくいくのかしら、と思うくらいでしたね。
花:はい。前年度採択されたのは5カ所でしたが、本年度は倍に増えました。
さらに、品川では4月から茶道と落語の教室も始まりましたし、
浜松ではお琴の教室と、どんどん増えています。
嬉しいですが・・事務的な部分は本当に、本当に、大変!ですね(笑)。
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今回、Reviveでは、品川区の南大井文化センターで行われている「日本舞踊こども教室」の様子を取材させて頂いた。
板敷きのシンプルな会議室。そこには日本舞踊のイメージはない。
靴を脱いで、子供たちが元気にモップで掃除をしている。保護者の方達は椅子を用意。
I瀧先生は持参したパソコンとスピーカーで邦楽をかけ、その合間に部屋の隅でパパッと着物に着替えてしまう。
廸薫先生は重たいファイルを抱えて、実行委員会の代表と打ち合わせ。
限られた場所と時間を少しでも有効に使おうとの思いが伝わってくる。
指導は『着付け』から始まる。
襦袢に着替えて待つ子供たちに、浴衣の着付けを丁寧に根気よく教えていく。
揃いの浴衣は、子ども教室への願いを込めて「折り鶴」の柄。着付けが済むと、稽古場に可愛い千羽鶴が出来上がる。
次に『扇子の持ち方』『お辞儀の仕方』。
形だけではなく、そこに込められた意味を分かりやすく説明しながら、子供たちが出来るまで、まさに手取り足取りの指導が続く。
そして、行うのが『日本舞踊の基本』。
1) すり足 → 2) 歩き方―娘 → 3) 歩き方―姫 → 4) 手の所作 → 5) 扇子の扱い方
この間、音楽はBGMのように流れるだけで、曲にあわせて踊る事はまだしない。
稽古場には熱を帯びた先生の声が響いていく。
「なぜこうなるのか」「どこが大切なのか」。論理的に、かつ、子供たちが飽きないよう質問やジョークを織り交ぜ、事細かに説明していく。
言葉だけではなく、自ら手本を示しながら、会議室の端から端までを使って何度も繰り返される『基本』。
しなやかに徹底的に『基礎』を叩き込むという、揺るぎない信念。
言葉通り、「人が嫌がるような、面倒くさい基本を省かない」姿がそこにあった。
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藤:お腹に力を入れる。姿勢を整える。すり足。手の運び。
大事な基本ですが、こうしたことを日本舞踊の指導者はなかなかやらないのです。
このあたりは廸薫さんの影響が大きいですね。彼女は宝塚でバレエをやっていましたから。
バレエにはステップがあって世界共通。では、日本舞踊に日本全国共通の型があるかと言ったらない。
流儀によって違うし、家々によっても違う。そんなことは絶対によくないと僕は思います。
日本舞踊も、きちっとしたステップがあり、きちっとした足取りが出来て成り立つのに、
そこが教えられないまま、なぜ難しい手順に行ってしまうのだろうと。
だから、他のお稽古場に行くと、ある程度経験を積んだ方でも、
「なぜこんな体の芯の取り方?こんな足の運び方?」と思うことがあります。
要は、面倒なんですよ、最初の基本を教えるのが一番。指導する側が疲れるから教えない。
今日のようなお稽古が、実は一番疲れるんです(笑)。
花:私はバレエやジャズダンスをやっておりましたから、
共通の「基本」があることを知っております。
ですから、日本舞踊に基本がないことを不思議に思っていました。
お稽古場で疑問に思うことの答えが先生から返ってこない。それがものすごく不思議でした。
I瀧先生のお稽古場に伺った時、基本をとてもきっちりなさっていらしたんです。
足の動かし方、手の角度、それはもう、ものすごく論理的に指導されていて。
素晴らしいと思いました。全てにおいて自分の納得するものが得られるというのは、驚きでした。
藤:僕たちは、基本を教えることを「大変」とは思っていません。
ただ「大変な仕事」であることは間違いありません。
今日ご覧頂いたところが、一番地味で大変です。そして、今日の部分がわからないと、
とんでもない不良品の子を育ててしまうことになるのです。
花:つまらなくて、地味。でも、これが体を作る「基礎」なんです。
藤:もし、お子さんが一人で入門されてきたら、
最初に馴染みのある曲で踊って、まずは踊りに親しむことから入ることも大切です。
それから基本に移っても遅くはありません。
でも、子供教室はいわば団体戦ですから。
周りと一緒にやれば、地味な基礎でも楽しくもなりますしね。
反面、団体の難しさもあります。
普通、お稽古はオーダーメイドですが、様々なタイプのお子さんがいて、
限られた時間の中でやることですからね。ですから、事前によく打ち合わせをして、
それぞれのお子さんの情報を頭に入れてお稽古にのぞむようにしています。
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花:会を立ち上げて今年で4年目になりますが、
ただ演じるだけではなく「伝える」という事に重きを置いた活動をしていたので、
子ども向けのレクチャーやパフォーマンスも行っていました。
そうした中で、「あなた方こそ、こうした事業をやるべきだ」と、この事業を教えて下さった方がいて
「ものは試し」と申請したら、1年目にも関わらず希望5カ所全部の採択を頂いたのです。
1年間続けてみて、私どもの会の背骨となる活動はこれだと思いました。
藤:感じますね。
でも、基本的に日本文化は明治以降衰退したと思っていますし、戦後さらに拍車がかかった。
僕たち高度成長期に育った者から見れば、その時と今はあまり変わっていないと思います。
かつて、僕はこうした状況に文句ばかり言っていました。でも、言うだけでは変わらない。
そして、こうした機会を得た瞬間から「あ、僕たちが変えるんだ」と強く感じました。
花:昨年1年間やってみて、副産物として
素晴らしいものを得たなと思ったのは、ご家族の会話がうまれたことですね。
核家族化の中で、祖父母と同居していないご家庭でも、着物を着て発表会に出ることになった時、
おばぁちゃまに聞かないと分からないことが出てきたりする。それで、会話がうまれる。
普通は、七五三が終わると成人式まで着物の話なんかしないでしょうしね。
いつからか、文化のバトンタッチがなくなってきているように感じていました。
少しでもそれを始めることが出来たと思うと、とても嬉しかったですね。
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藤:「文化」は座ったままでは何も起きないのです。
喋っているだけでもダメ。体も動かないとダメなのです。
そういう面で言うと、着物の文化、身のこなし方、お扇子などの小物の文化、
これら全部を同時に出来るのは歌舞伎舞踊しかないと思います。
花:お茶をやっていても「手順」は覚えられますけれど、
きれいな「所作」はなかなか覚えられないものです。
踊りをなさる方は、足のさばき方、手の持っていき方、そして「空気感」が違ってきますね。
藤:1日中着物でいますとね、袖があるのが当たり前です。
そうしますと、洋服でいても、手を出す時など瞬間的に袖を持っちゃうんですよ。
何気ない仕草ですが、子ども達にも将来こうなって欲しいと思います。
その時の身のこなしは、海外に行って西洋人が見ても、多分エレガントな動きだと思いますね。
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花:薬師寺の高僧が「花がひらいて実を結ぶ」というお言葉を言っておられます。
花は開くだけではなく、実をつけて種が出来るという、最近、私がとても大切に思っている言葉です。
今、私たちがやっていることは「種まき」です。現代は厳しい土壌になっていますが、種を蒔かないことには先につながらないですから。
それから、「結ぶ」ということも日本の文化に共通する言葉です。
私たちも、どこかで途切れてしまった日本の文化と、今の日本を結びつける役割が出来ればと考えています。
藤:日本は「紐」の文化で、結ぶことの文化だと思います。
ジッパー、ホック、マジックテープ、今はいろいろあって子ども達は不器用になってしまいましたね。
先ほども、お母様方から「ひもをマジックテープで代用していいですか」と聞かれたのですが、それをやってはダメなのです。
マジックテープに違和感を持って頂きたい。
ビリビリッと音を立てるマジックテープよりも、ひもをきゅっと結べたら美しいでしょ?
今見直されている風呂敷にしてもそうです。たった1枚の布で様々な包み方、使い方が出来る。
日本はそうした文化なのです。
西洋のまねでなく、花開いていた時の日本文化にもう一度目を向けると、とても面白いと思いますね。
花:便利の中から文化はうまれないと思います。
不便なものをどうやって工夫していくか。
日本人がすごく優れていたのは、それを露骨にやるのではなく、その中に美しさを求めたことだと思います。
藤:僕は海外で外国の文化を学びました。しかし、途中からむさぼるように日本の文化を英語で勉強し直しました。
今の活動の元になる考え方は、その時に身につけたと思っています。
海外に行って気づいたのですが、日本人の心とは「空気が読める」ことではなかったかと思います。
今風で「KY」って言いますね?今の日本人は、みんな「KY」になってしまいました。
舞台を通して子供達に学んで欲しいと思う一番は、「間合いのはかり方」です。
「間合い」というのは、物理的な距離だけでなく「空気を読む」ということなのです。
「二人以上」の舞台の経験をたくさん積んで、その中で、正しい段取りを知りながら、相手とあわせる時に動きの「配慮」が出来、
同時に手順を忘れず、正しい「間合い」がはかれる状態を作れるようになってもらいたい。
これは、考えていても出来なくて、そこにたどり着くには、今日のような基本の積み重ねがとても重要です。
そして「誰にあわせてあげるか」。自分が偉いのではなく、みんな同じ立場だと捉えて俯瞰で見る。
それも含めて「間合いの取り方」という事になります。
本来、日本人は長けているはずだと思います。
でも、今、出来ている人は、とても少ないのではないでしょうか。
子供のうちに「間合い」が覚えられたら、全てに応用が利く。社会に出ても必ず役に立つはずです。
花:今、人間関係がギクシャクしたりとか、物事がうまく進まなかったりするのは、本来、日本人が持っている心、杓子定規ではかれない、
間合いを持って、空気を読んで、雰囲気を守りながら進めていくという、日本人の心を無視した、とてもビジネスライクなやり方でやってしまって、
そこにひずみが出来ていることに要因があるように感じます。
日本舞踊もそうですけれど、日本文化の「道」とつくものを学ぶことにより、
こうした日本人本来のものが体の中に入ってくることは、すごく大事なことだと思います。
私たちは舞踊家ですが、会の活動の中に、茶道や箏曲なども取り入れようとしているのは、人によって興味の範囲も違いますし、
どこで和の心の琴線に触れるか分かりませんので、選択分野を増やしていこうと考えるからです。
藤:今の日本人は「気配」を感じなくなってしまいましたね。
感じない、だから「配慮」が出来ない。これも先ほどの「間合い」に通じますね。
無頓着で無関心で無感動。唯一感動できるのは、白か黒か、はっきりしているものだけ。
かつて日本では、色に関しても、美しい言葉で微妙な色彩を表現していました。
この微妙なものを感じとる力が、本来の日本人にはあったはずです。
機会があれば、日本舞踊の歌詞もみなさんにお見せしたいですね。
一つの文で一つ以上のことを同時に表現しているのです。
ただストレートに言うのではなく、例えば、人生ならば、四季になぞらえて、
様々な比喩を用いながら情緒的に描き出していて、それを踊っているわけです。
万葉集でもそうですけれど、場所をいいながら心を表すような。
言葉が平面的でなく、もっと立体的なものだったのですね。
花:日本文化は知れば知るほど面白くて、
今は、昔の人の知恵を生かしきれていないような気がして残念です。
藤:昔の人と今の人では、精神状態が違うんじゃないかとも思いますね。
例えば、『惚れる(ほれる)』という文字がありますね。
この『惚』という字は『惚ける(ぼける)』と同じです。
精神的な状態を見た時、昔の日本人にとって「ほれる」ってことは、
何もかもがその人の世界になってしまって、端から見るとボケているように見えるくらい、
純粋に想うことが「惚れる」だったのではないかと。
今はもっと計算してしまって、そこまでなることはないんじゃないかな。
花:懐古趣味ではなく、日本人の「プライド」の部分に行き着ければと考えます。
自分たちが「日本人である」というアイデンティティは、
日本の文化を学ぶことによって確立されますし、その他の方法はあり得ないと思っています。
そして、今がまさにギリギリだという危機感を私は抱いています。
今、日本人は根無し草のようになっているのではないでしょうか。
藤:お稽古の中で「腹に力を込める」と再三言いますが、
かつて日本には「腹をくくる」「腹を据える」「腑に落ちる」といった「腹の文化」がありました。
腹、つまり体の中心から物事を見ていたのです。
花:今、ピラティスなど「体幹」という言葉が流行っていますけれど、
日本人は昔からそうしていたのですよ。
このお稽古場では、日本人本来の体感を取り戻してもらおうとしています。
体が出来れば考え方もついてきます。ですから、「日本人のアイデンティティを育む会」と
銘打って活動をしているのです。
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藤:いやいや、そんな口幅ったいです(笑)。
日本人には器用さがあって、物事、メンタリティも含めて、
すぐに自分の文化として作り変える事が出来る。
これはすごい部分だと思います。
この能力を持っていれば、国、会社、学校などのトップが「志」さえ持てば、
改革もすぐに出来るはずです。
花:それには、文化のベーシックなものを知っている必要がありますよね。
今、求められているのは、アレンジする力だと思いますが、
ここで大切なのは、もとの部分をどのようにアレンジして発展させていくかであり、
もとの部分を知らないで無茶苦茶なことをやってしまっては、
アレンジも何もあったものではありません。
本当の意味でのアレンジ力を持つ事は、ものすごく大事だと思います。
藤:日本はなぜ建物を全て西洋風にするんだろう。
日本ほど汚い街並みの国はないと思います。
日本らしい街並みを壊した時点で心も壊れていきますよ。
心と形は表裏一体ですから。
花:先生の真似をするところから日本舞踊は入ります。
形から入るわけです。形が出来ないと心が表現できない。
自分ではやっている「つもり」になっていても、周囲からはそう見えない。
個性だと思っているのは、ただの「我」であり、「クセ」である事があります。
その「クセ」をそぎ落として、落として、
なお残っているものが自分の真の「個性」だと気づいたりします。
心と体、形と心は、本当に表裏一体です。
小さなお稽古は、ひとつの宇宙のようなもので、自分がそのままの姿で映し出される、
とても厳しい場所だと、私は常に思っています。
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藤:今もこれからも、初心を忘れない事。
一番ベーシックで、一見つらくて面倒くさい、お金にならない部分を大切にする。
これを絶対に忘れないで、地道にやっていきたいと思っています。
花:私の元々の発想は、スポーツクラブのように、
年会費、月会費で専門的な事が1カ所で習えるというシステムを、日本文化の学校として落とし込めないか、というところでした。
しかも、生徒集めや場所探しが大変な、若い講師の先生達に場を与えつつ、講師の先生も育てる。
そうした場を作りたいと考えています。
「道」と名のつくもの全て、剣道や柔道なども含めて、「和のエクササイズ」として捉えて出来ないかなと。
そして、さらに最終的な夢ですけれど、熟年のご夫婦が持て余しているようなお屋敷、
庭があって樹々があるような場所が確保出来たらと願っています。
和の文化は、こうした生活の中から生まれてきたものですから、学ぶ上でも、何の不機嫌もない環境がベストだと思っています。
様々な年代の方達が集って、縁側では読み聞かせがあり、お部屋ではお茶を点てていて、
お台所ではお惣菜が作られ、お風呂場では染色をしていたり。
和のテーマパークではないですが、そうしたものを最終的に作りたいですね。
藤:これこそ、本物の人たちが作らないといけない。
そこが難しいところですね。流行りで作ってしまうと「まがいもの」になってしまう。
それがこわいです。
言葉だけだと嘘になりますから、これからも僕たちは行動で示していきたいと思っています。
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